旧軍関連・戦前資料収載品
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その他…etc |
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| 大日本帝國 陸軍近衛師團 軍旗奉授百年記念 とあります。当時のまま台紙から外さずそのままの 状態にある近衛帽章です。 |
徽章類(主に陸軍) |
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| 画像の両方とも剣術徽章です。右は、アルミ製の後期のものです。 射撃徽章なども同じですが、これらの徽章は昭和十五年以降、銀 色の物はアルミ製で製作するようになったそうです。持ち比べてみ ると軽いです。 |
| 侍従武官徽章(複製品) |
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| 某軍装店が客の依頼で少数限定で生産した品で、 材質は本物と同じく銀を使用し凝った造りとなって います。 |
大禮使関係員徽章 |
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| 乙種大禮使徽章 |
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| 箱無しで保存状態も余り良くない品です。 |
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| 丁種大禮使徽章 |
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| 造幣局製。共箱入り。徽章の裏に造幣局製 I.SATOの刻印があります。 |
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| こちらは、程度が落ちる丁種大禮使徽章です。 |
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| 小さな大禮使徽章です。下級官吏用の物と思われます。 |
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| 甲・乙・丙・丁種の大禮使徽章があります。甲種が 勅任官、乙と丙種が奏任官、丁種が判任官と思わ れます。この小さな大禮使徽章は、傭人・雇人など の方が使われたものと想像します。 |
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| 小銃射撃兵徽章(昭和十四年十一月制定) |
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| 真中は、第三種射撃章。左右は、競点射撃一等章。 |
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| 一種 剣術徽章 |
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| (軽)機関銃射撃徽章(昭和四年改正) |
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| (軽)機関銃射撃徽章(昭和四年改正) |
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| 機関銃射撃徽章(大正九年制定) |
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| 機関銃射撃徽章(兵徽章:昭和十四年改正) |
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| 機関銃射撃徽章(大正九年制定) |
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| 機関銃射撃徽章(大正九年制定) |
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| 程度は悪いですがオリジナルの留 ピンが残っている機関銃射撃徽章 |
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| 歩兵速射砲射撃徽章(左)と砲兵競点射撃優等章(右) |
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| 上下共に、砲兵照準徽章(昭和四年改正) 共箱にオリジナルの留ピンが残っているの は、貴重です。 |
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| 速射砲射撃徽章(兵徽章) |
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| 歩兵砲観測徽章(昭和十一年制定) |
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| 歩兵砲観測徽章(昭和十一年制定) |
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| 砲兵馭術徽章(昭和八年制定) |
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| 馬術徽章(昭和十五年改正の方) |
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| 砲兵観測微章(昭和六年改正) |
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| 速射砲射撃微章(昭和十四年制定) |
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| 重砲兵通信徽章(明治四十五年制定) |
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| 砲兵通信徽章(昭和六年制定) |
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| こちらも陸軍の砲兵通信徽章ですが戦火で焼けた 後があります。満州でソ連兵に記念品として持ちさ られた物のようです。ロシアからの里帰り品です。 アルミニウム製で桜に通信機器の受話器を象って います。 |
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| 砲兵通信徽章(下士官用) 昭和6年制定(改正の)下士官用砲兵通信徽章。制定当初の 明治45年は、重砲兵通信徽章。桜と電話機の受話器を組み 合わせたデザインで、砲手の通信手、観測術を担当する成 績優秀な下士官に授与された徽章。前所持者は、満州・支那 事変に従軍の陸軍曹長でその後、除隊して国鉄に就職してい またそうです。下士官用の徽章はどの兵科も大変貴重で授与 数も少ない為、希少です。 |
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| 歩兵砲速射砲徽章(兵徽章) |
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| 砲兵照準徽章(昭和四年改正) |
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| こちらも砲兵照準徽章です。オリジナルの 留ピンが残っているのは珍しいです。 |
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| 野戦砲兵・重砲兵・要塞砲兵照準徽章(昭和十六年制定) |
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| 自動車操縦徽章(昭和十四年制定) |
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| 下士官小銃軽機関銃徽章(昭和十四年改正) |
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| 下士官小銃軽機関銃徽章(昭和十四年改正) |
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| 下士官小銃徽章 |
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| 砲兵観測最優等章(明治二十八年制定) |
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| 飛行機操縦者徽章(将校徽章と下士官徽章) 大正十二年制定で将校徽章は、昭和十五年 に廃止。下士官徽章の方は、敗戦まで授与さ れ佩用されました。 |
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| 下士官用の”所天”です。少飛の背広用の記念徽章 と一緒に出て来たものです。思い入れの深い品なの でしょう。裏の留め金が壊れていますが、上下共に 無理矢理再取付けしてあります。 |
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| ”ところてん”の複製品です。上の本物と比較 すると一目瞭然ですが中々、良い味を出して います。こうした品も面白いものです!! |
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| 下士官勤功章(明治四十一年制定) |
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| 箱が残っている下士官勤功章 |
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| この下士官勤功章は、精勤6年以上の品行 方正な下士官に精勤年功を表彰して与えら れました。 |
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| 将官隊長章(昭和十八年十月十ニ日制定) |
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| 佐官隊長章は、桜花と桜枝が金色で地は、アルマイト。 尉官隊長章は、桜花と桜枝が銀色で地は、アルマイトで 区別されます。将官隊長章は、明らかに大きさが違うの で一目瞭然です。 |
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| 左より尉官隊長章、佐官隊長章、将官隊長章、尉官隊長章 |
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| 陸軍武功章(乙徽章:兵・下士官用)の複製品です。 昭和十九年制定で金鵄勲章に同等に値するものと され授与されました。以下は、19年12月13日の朝日 新聞に掲載された武功章の制定の記事です。 |
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| 昭和20年3月13日、B29の大阪空襲に際して、 伊丹空港より飛行第56戦隊の鷲見曹長の三式 戦”飛燕”1型丁は、低空で爆撃を続けるB29に 対して反復攻撃を続け液冷エンジンが止まるま で迎撃を行い実に撃墜4機、撃破3機の戦果を 上げて墜落し落下傘で降下し無事に帰還しまし た。これを第11飛行師団の師団長 北島熊男 中将が師団司令部屋上よりつぶさに観察してお り中将自らの上申により第15方面軍司令官 河辺正三大将より異例の個人感状と武功徽章 が授与されました。下の写真は、鷲見准尉(20 年8月1日特別進級)が左胸に武功徽章を佩用 したものです。敗戦までに准尉は、B29を5機 撃墜、4機撃破、P-51を1機撃墜を記録していま す。 |
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| 陸大卒業徽章(明治二十八年制定) 通称:天保銭 |
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| 満州 独立守備隊記念章 |
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| 陸軍士官学校同学校章 |
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| 教官・及び教員が使用した徽章です。 |
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| 呉海軍工廠 参拾年勤続章 |
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| 中々、レアな徽章です。 |
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哀しい徽章…空襲で焼けた海軍技術有功章 |
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| 表面の七宝が熱で殆ど溶けています。 |
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| 元が美しい徽章だっただけに無残です。 |
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海軍 各種優等章等 |
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| 海軍小銃射撃優等章(前期型) (明治44年9月8日制定) |
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| 海軍小銃射撃優等章(前期型) |
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| 海軍小銃射撃優等章 |
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| 海軍通信優等章(明治二十八年制定:前期型) |
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| 同じく海軍通信優等章ですが保存状態が 悪く程度がかなり落ちます。 |
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| 海軍 通信優等徽章 (明治44年9月8日制定) |
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| こちらも上記の通信優等章を3年連続 保持すると授与される青メダルです。 |
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| 海軍機関運転優等章(前期型) |
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| 明治四十四年九月八日制定で昭和 十六年に廃止になりました。銅製。 |
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| 海軍 機関運転優等章(前期型) |
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| 機関運転優等徽章 (明治44年9月8日制定) こちらも上の機関運転優等章を3年連続 保持すると授与される青メダルです。 |
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| 海軍工作優等章(前期型) |
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| 上の前期型の方が下の後期型より重量感もありカッコイイです。 |
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| 海軍工作優等章(後期型) 昭和五年四月二十二日制定で 昭和十六年廃止になりました。 後期型のアルミ製です。 |
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| 海軍航空優等章 (昭和2年6月1日制定) |
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| こちらも上の航空優等章を3年連続 保持すると授与される青メダルです。 |
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| 海軍航空優等徽章 (昭和2年6月1日制定) 銀製の後期型の青メダルです。 |
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| 画像の左が最初に拝領する航空優等章です。これを3年間保持すると 右の優等徽章が拝領されます。双方とも給料に反映されるので薄給の 下士官以下の者は、こぞって狙ったものと聞いています。皇室の菊の 御門を配した右のメダルは、通称:青メダルと呼ばれています。 |
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| 海軍 艦砲射撃優等章 |
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| こちらも銅製の明治44年9月8日に制定された最古の優等章 の一つです。艦砲の年度射撃訓練時に成績優秀な砲手を選 び、褒章として与えました。オリジナルの桐箱付きで退色も無 い極美品です(前期型)。 |
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| 上の画像のとは、違う艦砲射撃優等章(箱なし) |
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| こちらの上下の徽章も別の箱無しの艦砲射撃 優等章です。材質は、真鍮製の下地に銅で鍍 金されています。桜と錨は光沢のある金メッキ です。銅色の焼付け塗装のタイプでは、ありま せんので新しい時代の優等章で無いと思われ ます。 |
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| 海軍 艦砲射撃優等徽章 |
| こちらの青メダルは、上記画像の優等章を3年(回)以上, 続けて授与されると与えられたものです。この青メダルは 授与されると優等章と違い、永久に所持することが許されま した。明治44年9月8日の制定です。(前期型) |
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| この品は、オリジナルの箱付きの美品ですが、残念な事に裏留の 金具が外されて正面から穴が開けられています。その周りの七宝 が一部剥離しています。戦後の記念にペンダント等にしたのでしょ うか…惜しいです。 |
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| 海軍 魚雷発射優等章 |
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| (明治44年9月8日制定制定) |
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| こちらも上の魚雷発射優等章を3年連続 保持すると授与される青メダルです。 |
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| 魚雷発射優等徽章 (明治44年9月8日制定制定) これも前期型の青メダルです。 |
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| 機雷(敷設)優等章 大正八年四月制定。本品は、 後期型のアルミ製。 |
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| 操舵優等章 (昭和5年4月22日制定) |
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| 應急優等章 (昭和14年8月31日制定) |
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| 應急優等章を3年連続ホルダー で下の應急優等徽章(青メダル) が授与されます。 |
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| 應急優等徽章 (昭和14年8月31日制定) |
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| 潜水艦修業徽章(潜水学校練習生修業徽章) (明治44年9月8日制定) |
その他、海軍関係の徽章類関係 |

| 珍しい二年短期現役士官の修了徽章です。 |


| こちらも珍しい海軍兵学校生徒のチェリーマークです。 各期の優秀な生徒にのみ与えられたもので海兵生徒 襟章の奥に縫いつけて使用します。 |


| 下は上と違う別に入手したチェリーマーク二対です。 |
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旧皇族御下賜品のカフス |
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| 旧皇族の品として入手しましたが、御詳しい方の御指摘では、 久邇宮家もしくは、東久邇宮家よりの御下賜品では、無いかと の事です。両宮家は、共に十一宮家に数えられた伏見宮家を 筆頭として北朝の崇光天皇の皇子 栄仁親王を初代とする伏 見宮家の二十代当主 邦家親王を共通の祖とします。戦後の 皇室改革に伴い臣籍降下となりました。華族制度の廃止も同 時期にあった為、身分としては一般市民になりましたが、華族 の家系が旧華族と呼ばれ特別視されるように十一宮家の人々 も旧皇族と呼ばれ法的には、一般市民であっても特別な家系 である事は、間違いありません。(宮廷内においては皇族に準 じる礼遇を受ける為、”宮廷内の皇族”と言われています。) |
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| 帝國水難救済会名誉会員徽章と三等有効章 |
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| 帝國水救済会名誉会員徽章 |
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| 帝國水難救済会 終身特別会員徽章 |
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| 帝都復興記念章 |
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| 陸軍操縦者用手袋 |
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| 陸軍操縦者着用防寒手袋 スタンプありますが薄れて読めません。 |
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各種 手榴弾・榴弾 |
九九式手榴弾 |
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| 珍しい九九式手榴弾(甲)の梱包箱です。手榴弾を二個入れて収納 した箱です。使用後は、捨てられる事の方が多い物ですので残存し ているのは、珍しい気がします。 |
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九七式手榴弾 |
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| 別の九七式手榴弾 |
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信管部は、手持ちの余り状態の良くない品を |
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| もと京都の嵐山博物館所蔵の所蔵品で、後に和歌山の ゼロパークに引き継がれましたが、ここも閉館…転々と した品です。さびの為、アバタがひどい状態です。 |
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九八式(柄付)手榴弾 |
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| 湿気により木部の破損がかなりあります。底部のキャップも欠損しています。 信管を点火用のリング等はオリジナル(リングは針金状でかなり傷みがあり) 。弾殻は比較的程度がよく、取り付けビスが欠損しています(現在、仮の+ビ スで固定してある状態)。弾殻サイズ:71.4o、直径49.8o、厚さ5o、鉄製で す。現状のままの全長:200om 全重さ:425g 刻印等無し。 |
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| 幻の手榴弾と言われ日本のオリジナル開発・生産したものなのか、また中国大陸で日本軍が 鹵獲した支那軍のものなのか謎とされた手榴弾です。支那軍は、ドイツ軍の顧問を多く抱えて おり、また多くの兵器をドイツより輸入していました。特に木の柄のついた『ポテト・マッシャー』 と呼ばれたドイツ軍のオリジナル手榴弾を各地でライセンス生産していました。昭和13年(193 8)に日本の兵器廠でも”九八式柄付手榴弾”として10万個弱を生産した記録が残っているよう です。この手榴弾の特徴は、木の柄に鋳鉄製の円筒の弾殻をビス3本で留めて、その中にビク リン酸が入れられいます。反対の木の柄の下に薄いブリキの円形の蓋があり、この中に信管を 点火させる紐と金属の輪が収められています。非常に投げやすく威力もあるのですが、持ち運 びが不便なのが欠点でした。ドイツ兵は、これをベルトに差していましたが行軍の多い皇軍兵士 には、不向きで要塞などの守備隊向きの手榴弾だったと言われています。この為か限定した生 産に止まったようです。記録では九八式柄付手榴弾は、支那へ10万個が輸出されて国内には 無い計算との事でした。(上記の右の図が現存する九八式のほぼオリジナルの画像です) |
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九一式手榴弾 |
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| 九一式(昭和6年)は、寸法・形状共に十年式手榴弾と同じもの ですが、下から上まであった溝の上部、蓋に掛かる部分を省略 しています。また信管の安全性を改良で増しました。これにより 量産がより楽になった模様です。 |
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| 通常の手投げで使用する場合は、画像のブースターは 外して使用します。ブースターを使う場合は、十年式擲弾 筒であり、後に八九式擲弾筒に変わります。安全栓(ピン )に付いた水糸を引きピンを抜き上部を硬いもの(地面や 鉄帽など)に打ち付けて7〜8秒で爆発するのでこの間に 敵に向けて投げつてます。 |
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| 九一曳火手榴弾2個入りの収納筒です。 |
末期の陶器製手榴弾 |
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陶器製手榴弾は、末期の昭和19年頃から敗戦まで製造された物です。 |
旧式の演習用手榴弾 |
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| 十年式以前の旧式 演習用手榴弾 |
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| 先端撃針キャップ部(銅製)に刻印がありますが、判読不明です。 |
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| 下部の木栓部と投擲用のヒモ部がありません。 |
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| 弾殻は鉄製です。全長約82mm、直径(最大)約44,5mm 重さ約430gです。当然ですが、火薬類等一切入っていない 安全品です。 |
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八九式擲弾筒の発射済みの榴弾各種 |
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| 榴弾の銅の帯に浅い筋がついているのが 発射済みのものです。 |
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| 九八式重擲弾筒を構える奥の日本兵と手前で 擲弾を手にする兵士が写っています。まさにタ イミングを狙っているところでしょう。 |
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| 八九式擲弾筒を発射せんとする擲弾兵 |
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| こちらは、実物の擲弾嚢です。 |
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| 上の物と違う八九式擲弾筒の八八式榴弾 |
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| 上の物と違う八八式榴弾の信管部 |
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| 八八式 ヒ 昭十七4 東の刻印があります。 |
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| こちらも別の八八式榴弾 |
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| こちらも別の品です。 |
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| こちらも別物の発射済み八八式榴弾です。 信管には”八八式”と”昭八12”と”條”という 刻印があります |
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| 発火済みの八九式重擲弾筒用の八八式榴弾の 演習弾です。少量の火薬で着弾発煙させるので 、肩の部分が広がっています。信管、内部火薬、 発射火薬は使用済みです。信管は、八八式で、 昭和8年の刻印があります。本体には昭和11年 の刻印があります。半分ほど当時のオリジナルペ イントが残っています。 |
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| 精巧複製品です。 |
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| こちらは、中田商店で出している複製品の擲弾筒嚢です。 |
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| こちらも複製のダイキャストの八九式榴弾です。 |
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| この画像は、制作者のコピー元のオリジナル榴弾(左) とコピーした複製品(右)との比較した画像です。良く出 来ています。 |
実物 憲兵(M・P) 及び 海軍警査(SP)の腕章 |
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| 戦地憲兵(外地憲兵)の腕章です。 |
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| 海軍のSPである海軍警査の腕章です。こちらは 、官給品らしくスタンプは、横須賀衣料廠。 |
実物 海軍 舞鶴第一保安隊・NP(海軍憲兵)の腕章 |
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| 腕章は、表面布地が陸軍憲兵腕章と同じモスリンで、裏地は 綿布です。表面に小虫食い有ります。裏面に”三小 壱号”と 書き込み有ります。大変珍しくて貴重な資料です。 |
実物 陸軍憲兵腕章(MP)二点 |
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| 同一人物の憲兵腕章2点です。下のM.P.の方は、 敗戦後の進駐軍の警備の為のものです。 |
陸軍 外出証 腕章 第七六〇一六部隊 玉田部隊山田隊 |
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| 部隊の公印が押された腕章です。第43号とあります。 |
公安関係または鉄道車内で使用した安東部隊の腕章 |
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| 満州東北部 安東部隊の公印が押された腕章です。 |
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海軍 大阪警備府の腕章 海軍要員交通証 |
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| cf.大阪警備府に関しまして! 海軍には、主要地域に警備府がございました。 大湊警備府、大阪警備府、海南警備府、高雄警備府 旅順警備府、鎮海警備府の六警備府です。この他に 竹敷要港部がありました。ここのみ長は、司令官でし た警備府は、司令長官で中将が務めました。また大阪 警備府の最後の長官は、岡 新中将でした。尚、旅順 警備府は、昭和17年1月15日に廃止になっています。 最後の司令長官は、浮田秀彦中将でした。 |
海軍施設の腕章 |
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| 京都の伏見連隊区にあった深草の海軍施設の物です。 陸軍師団の所在地付近の地名で腕章が作られており ますので多分海軍の連絡施設とのことです。 |
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陸軍兵器学校 公用腕章 |
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| 相模原にあった陸軍兵器学校の腕章です。 |
陸軍衛生腕章 |
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海軍 甲板下士官腕章 |
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海軍建築部作業員の腕章 |
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瀋陽市日本人捕虜収容所 ”女性捕虜の認識腕章” |
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| 中華民国35年(昭和21年)。敗戦直後の満州・瀋陽市に日本人捕虜収容所が有り、 【第一一三大隊・大三中隊・第三小隊】【保僑字163270号・佐藤登喜子】。日本兵 でもない一般人の女性が捕虜同然の扱いされていた事を示す腕章です。この腕章の 発行は敗戦後約1年後です。支那人達が民間人である満州からの引揚者をソ連兵と 同様に酷い扱いをしたかは、多くの書籍にも記載されていますが、同胞の怨み節が 聞こえてきそうな腕章に憮然たる想いがします。 |
佐世保海軍々需部 戦闘要員 腕章 |
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佐世保海軍工廠 戦闘部署員 腕章 |
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鈴鹿海軍工廠の腕章 |
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| 下の三重県警の腕章と一緒に出たものです。 |
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| 海軍工廠は、艦船・航空機・各種兵器・弾薬等を開発・製造する 海軍直営軍需工場を指しますが、昭和6年の満州事変勃発まで は、横須賀、呉、広(呉市)、佐世保の鎮守府に併設されていま したが、昭和10年に舞鶴が海軍工作部から海軍工廠に復帰、 大東亜戦争中は、軍備の増強により、豊川、光、相模、高座、 川棚、沼津、多賀城、鈴鹿の八箇所に新たな海軍工廠を設置し ました。 |
戦前の警察(三重県警)の腕章 |
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| こちらの腕章は、未使用で仕舞いこまれたようで とてもきれいです。 |
満州国 安東市 警察官(市警護本部員)の腕章 |
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| 満州国の安東市は、中朝国境の町です。現在は、丹東市と名を変えて 存在しています。鴨緑江で国境となりますが、中国側が丹東市で北朝鮮 側が新義州市です。この新義州市は、日本の統治下では、新義州府と 呼ばれていました。鴨緑江第二橋梁が川に掛けられて日本が鉄道を敷 きました。これは、現在も使われています。丹東駅〜新義州駅〜平壌駅 と鉄道は、繋がっています。特に新義州駅〜平壌駅は、日露戦争中で 朝鮮総督府が物資輸送の軍用鉄道として京義線の建設を進めました。 安東〜奉天(今の瀋陽)間の安奉線を作り、その付属地とを経営する為 に、南満州鉄道株式会社、所謂、満鉄を設立しています。 |
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| 表も裏も公印が捺され、記載があります。 |
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明治期の海軍 ”海軍班”腕章 |
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| 表地は赤い羅紗生地に”海軍班”の刺繍文字。裏地は絹のようです。 明治頃の物だと思いますが新聞など報道関係者用の腕章と考えます。 |
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戦時資料:京都の各種 軍友會の腕章 |
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| 京都航空機乗員養成所監視員の腕章です。 グライダーの滑空免許を持った人が各地で 少年飛行兵や予科練などを目指す少年達を 指導した時に付けたものです。 |
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九三式地雷(対戦車・対人) |
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| 旧陸軍の対戦車・対人用の地雷です。 |
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| 昭和8年制定、対人対戦車兼用の最もスタンダードな 圧力型地雷です。この後に昭和14年に制定された九九 式破甲爆雷が4個のマグネットが付き信管の安全ピンを 抜き戦車に投げるか付けるかすると約10秒後に信管が 作動し爆発する装甲を破る目的の対戦車地雷と一線を 画しています。 |
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九九式破甲爆雷と珍しい収嚢袋 |
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| この九九式破甲爆雷は、対戦車兵器として開発された 円盤型爆雷です。4個の永久磁石を敵戦車に吸着させ て爆発させる物ですが、手榴弾のように人による投擲 もできました。昭和14年のノモンハン事件では、ソ連の BT5型戦車の攻撃に使用されました。昭和20年5月24 日の沖縄で米軍占領下の北・中両飛行場に強行着陸し 攻撃を敢行した義烈空挺隊もこれを携行して米軍に多 大な被害を与えました。 |
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| この品は、茶褐綿布製のカバーに少々ほつれあります。 昭和16年製で磁石鉄製カーキ塗装で三菱マークにN・S 極の刻印がそれぞれに入っています。雷管・爆薬は除去 されて木製のダミーが入った安全な合法品です。 |
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| 四辺に磁石の付いた、通称「カメ」と呼ばれる破甲爆雷の収納袋です。 袋の蓋の裏に、信管を装着する紐が付いています。後ろにベルトを通 すループがあり、左に2個刻印があります。状態としては未使用クラス ですが、ほこり汚れと、ホックにサビがあります。 |
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| 周囲には堅い枠が入っています。 |
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三式甲地雷(海軍) |
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| 米軍のトレーニング用なのかオリジナルと 同じ素焼きで出来た三式地雷です。 |
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| 直径27cm、爆薬量3kgと陸軍の九三式地雷 に比べて3倍以上あります。破壊力も大きか ったものと想像します。 |
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| 素焼きで出来た中身が空の地雷ですが結構 重いです。これに3kgの爆薬が充填されると 結構な重さとなります。 |
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| 信管は、明らかにダミーです。元々、三式地雷の 信管もベークライド製で地雷探知器での発見が 不可能なように出来ていました。 |
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三式甲地雷(海軍)の信管の安全札 |
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| 下は、ニューギニアで米軍に捕獲された海軍の三式 地雷である。陶器製である為、金属探知機にも反応 しない。直径が27cmで3kgの爆薬が装填された。 |
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| 上の画像の↓が安全札を示しています。 |
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陸戦隊で使用された地雷(対車輌用の棒地雷) |
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| 海陸戦隊が使用したタイプです。内部は空です。両側蓋はビスも付いていて、 良好です。これは米軍が作った良くあるトレーニング用ではなく、オリジナルの 地雷です。 大きさ 全長約91cm、幅約8.5cm。 |
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| 内部に六個のの黄色火薬が入るようです。 |
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| うっすら日本語が残っているのが判ります。 |
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米軍が訓練用に作り使用した
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| こちらは良く出る大戦中、米軍が兵士の教育用に作ったも のです。実物と同様の1ミリ近い厚手の鉄製で、片側に”信 管頭部側”の文字が入っています。蓋が片側欠品していま す。 |
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| 大きさは、実物と殆ど変らず 90cm×8cm |
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中身も全て揃いの米軍の訓練用
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| ダミーの火薬(WAX製で代用のようです)と長い棒が 信管代わりのようです。これを引いて起爆したようです |
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航空機のリベット孔の調整用リーマ |
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| 航空機のリベット孔の調整用リーマのセットです。パーツは 揃っていて、油紙に包まれた状態です。中を空けるとハンド ルには、グリースの付いた状態です。パーツリストに、「大転 把」「小転把」とありますが、旧軍は、ハンドルを「転把」と言 い換えておりました。航空機は、図面に沿ってリベット孔を開 けますが微調整しないとぴったり合わなかったと思われます。 このリーマは、微調整用です。2.7mmから10.4mmまでありま す。箱は、26cm×16cm×5.5cm。年号等のの刻印はありま せん。 |
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